前略
まず、タイトルを見て「なんだ?文字化けしているぞ」と思われた方は安心されたし。決して文字化けなどではなく、歴とした今回の作戦名である。
その作戦とは、北陸地方の某所に、有志の手で保存されている嘗(かつ)ての鉄道郵便輸送を担った貴重な車両がGW前の4月25・26日に公開されるとの報告を受け、滅多に見られない車両内部を調査せよ…という指令を受けての潜入レポである。
本記事タイトルの〒929は石川県を示し、オユ10とは、保存されている郵便車の形式名を表している。
関東圏内に勤務する郵政社員ならば「オユ10」を知らない者は皆無であろう。「鉄道マニアじゃ無いのでそんなの知らん!」などという輩が居たら、今すぐ国立(くにたち)サティアンこと、中央郵政研修所に入寮されることをお勧めする。そして、研修所の敷地を隅から隅まで見てもらいたい。屋根の下にオユ10-2555号車が保存されているはずだ。現存するオユ10形式の車両は、この国立(くにたち)の中央郵政研修所と、今回潜入した石川県の能登中島駅に保存されている2両のみで、他の車両は全て、国鉄が分割民営化される直前の1986年の鉄道郵便廃止と共に廃車・解体されている。


▲のと鉄道能登中島駅構内に保存されているオユ10-2565。雨ざらしのため、車体はだいぶ痛んでいる。国立(くにたち)の研修所にあるのは2555号車で、10番違いだ。全長20メートルの車内には「ミニ郵便課」とも言うべき設備が所狭しと揃っていた。この2565号車は寒冷地仕様となっており、主に北海道向けに使用されていた。隅田川駅発根室行きなどという、とんでもない長距離を走っていたのである(鉄郵職員は、各鉄道郵便局管轄毎に乗務交替)。今日のように高速道が整備される以前は、北は稚内、南は鹿児島まで全国津々浦々、郵便列車が毎日走っていたのである。
実は数日前から秘かに北陸入りし、周辺地域の丸型ポストなどを物色しながら、この車両公開日を虎視眈々と待っていた。
当日は朝から生憎の雨となったが、バスや鉄道で来られたツアー客などが朝から押し寄せ、珍しい郵便車の車内を見学していた。

▲車内はこうなっている。どこかで見たこと有るような区分棚に郵袋の数々…
その他に、この郵便車ならではの設備も見られた。
車内には車両の保存活動を行っているボランティアの方々が居り、実際に大阪の鉄道郵便局(通称:てつゆう)に勤務されていた方も居た。こちらの素性を明かすと、とても親切に、詳しく鉄郵の業務について、しかもフルコースガイドをして頂いた。

▲模擬郵便を使用して区分作業をやらせてもらっているところ。さながら訓練道場みたいである。高さと言い、一口の大きさと言い、局内で使用している区分函と何ら違和感はなかった。区分函には北陸地区の郵便番号のラベルが貼られているが、これはあくまでもこのイベント用で、実際の現車では何も貼られて居らず、職員は皆、暗記して区分を行っていたという。これは、郵便車が特定の路線だけ走っているのではなく、様々な線区を走る関係上、区分函に表示をすることが出来なかったからだそうだ。まさに職人技であるが、今ならきっとJPSが黙っていないだろうなあ。

▲補助区分棚(上部)に郵袋を引っ掛けて、取っ手を手前に引くと、補助区分棚の底が開き、郵袋に郵便物が落ちる仕組みになっている。取扱いの裏技も教えてもらったが、文章では表現し辛いので割愛させていただく。

▲小包区分棚。これもJPSが見たら卒倒するであろう光景だ。

▲手前の台から、「押印台」「小郵袋区分棚」「速達区分棚」「特殊区分棚」。
紅白の小郵袋は書留で、赤は書留のみ、白は速達が含まれているものを示す。なお、日付印は鉄道郵便独自のものが押され、各列車便毎に異なる。

▲開袋台。
上部のダクトのようなものは、郵袋から郵便物を取り出したときに舞い上がる埃を吸い込む吸塵設備。郵便車には開く窓が無いので、吸塵機は欠かせなかったようだ。

▲は束区分棚。主に定形外区分に使用。郵便局にも同じ様なものが有りますな。

▲小包締切郵袋室の天井に有るフック。
鉄道郵便最盛期の頃は、車内に立錐の余地も無いほど郵袋が積みあげられていたという。積まれた郵袋が荷崩れしたり、方面別に仕切る為の網をここに引っ掛けていた。蛍光灯回りの金網は、郵袋による破損防止用だろうか。車内に600袋もの郵袋を積んでいた時期も有ったというから驚きである。しかし、民間宅配便の台頭により、年々、その嵩は少なくなっていったそうだ。

▲休憩室。ほんの2人分ほどのスペースしか無いが、唯一、ここの窓だけは開閉出来る。また、作業室内は禁煙だが、ここには灰皿も設置されており、喫煙が認められていた。
この他にも書留を専用の紐で把束して小郵袋に詰め込んだり、送達証を切る作業もやらせていただいた。

▲書留把束&開披道具。右の、把束ひもに鉛の玉が付いたものは初めて見た。封緘具(ふうかんぐ)というらしい。真ん中の紐を切る道具は、今でも郵便課で使われているのだろうか?(市販のカッターは見たこと有るが、〒マーク付きのは初めて見た!)
左のペンチのようなものは、鉛玉を潰すためのもの。名前は…忘れた!

▲鉛玉を潰すと、なんと〒マークが刻印されるようになっている。
実際にはこの作業は、車内で一番偉い「便長(びんちょう)」の業務であり、下っ端は絶対にやらせてもらえなかったという。憧れの便長になるには、長き経験が必要であり、定年を控えたベテラン職員がほとんどだった。ガイドしていただいた方は、便長を夢見ていたそうだが、鉄郵配属後、程なくして鉄道郵便そのものが廃止されてしまい、夢は叶わなかったと嘆いていた。因みに鉄郵廃止後の職員は、各郵便局に配属されていったそうだ。
これらの作業を大体、3〜4人で行っていたという。
朝夕の便は物量が多く、特に各駅電車だと、これらの作業を短いところで5分で完了させなければならず、牛歩戦術を得意とする某食いしん坊主任などは間違いなく不適格者であろう。
万が一、区分が終わらなかったり、誤区分や駅での降ろし忘れ・間違いを発生させてしまった場合は、後日、監察に呼ばれ、きつい処分が待っていたという。
このオユ10-2565号車の所有は「郵政省」で、車両のメンテナンスは国鉄が行っていた。郵便車にも色々な種類が有り(後日アップします)、
郵政省所有のオユ10は冷房設備が有り、夏場も快適に車内でも業務が出来たという。
地獄なのは非冷房の車両で、郵便車は郵便物を取り扱うという特性上、窓が開かない。はがきが飛んでいってしまう恐れが有るからだ。
したがって、非冷房車には扇風機が付いていたのだが、それを使用することはまず無かったという。理由は温風をかき回すだけで、余計暑くなるからだ。当時、夏場の職員はみんな、Tシャツ一枚で作業をしていたという。
それでも当時は鉄道郵便局員希望者が多く、志願しても中々なることが出来なかったようだ。
手当てについては、旅費手当て、宿泊手当て、夜勤手当などが付き、郵便局員の中でも貰いは良かったと聞いた。
もし鉄道郵便が存続していたならば、旅好きのワシなら絶対に希望していただろうな。
皆さんの職場にももしかしたら元鉄郵マンが居るかも知れない。50代以上の先輩に尋ねてみるとよろしかろう。
車内では鉄道郵便に関する書籍やDVDなどが販売されていた。

DVDの内容は、全逓の撮影隊が撮った現役時代の鉄道郵便業務風景が32分に渡って収録されている。オユ10以外にも様々なタイプの郵便車が登場し、大変貴重な資料映像と言えよう。また、同梱のCDは写真集になっている。オールモノクロ写真だが、二度と見ることが出来ない作業風景から、鉄郵が廃止、郵便車が解体されるまでの非常にレアな写真が100枚ほど収められている。撮り方も写真の心得が有る方だと思われ、構図など実に上手い。若い方には、「昔はこんな郵便局の仕事が有ったんだ」と新鮮に見え、また一定の年代以上の方には懐かしく感じられるのでないだろうか。
通信販売も行われているが、是非とも現地、能登中島駅に赴いて、実際に鉄郵体験されることをお勧めする。因みにワシは狭い車内で3時間も狂喜乱舞させていただいた。
今回のような一般公開は年に2回ほど行っており、次回は秋に開催予定だという。詳しくは保存活動を行っている団体のHPを参照されたし。
草々
ふるさと鉄道保存会北陸事務局